おはようございます、れびこです。
じいちゃんはあっという間に旅立ってしまいました。
本当に私達にとってはものすごく厳しいじいちゃんでした。
「さっさと死ねクソジジイ!!」とか言いながら喧嘩したことも
ありました。数年前だったかな…
「金やるから手伝え」と言われたんですよ。
だから私はその時「金もらうためにここに来てるんじゃあねえ!」
ってキレたんですよね。
だってそうでしょう?そんなもののために実家に帰ってきてるわけじゃないし、
自分の身内に金もらって何か手伝うって…そんなのないじゃあないですか。
そんなこともあったりして…イヤなことも多かったし、喧嘩した方が
多かったと思うんですね。
なんつーか、それでも私のじいちゃんだったんだと痛感した次第です。
葬儀の時、泣いていたのは私だけでした。
大人なのに泣いてしまうんですよね。
そんな自分が許せませんでしたが、今まであったことが色々よぎるんですよね。
悪い思い出の方が多いです。
ばあちゃんを蹴飛ばしたりしてたとか、怒鳴り散らしてたりとか…
そういう嫌な思い出が多い中、良い思い出も確かに存在して、
思い出すと泣けてくるんですけれども。
小さい頃、うちにはファミコンがありました。
ファミコンでマリオ3とかドラクエ3とか一緒にやってたりしました。
弟と私とじいちゃんと従姉の4人で。
小学校の頃、クラスで将棋が流行って、その時にじいちゃんに将棋を教えて
もらったりしました。駒の意味とか動きとかそういうの。
将棋崩しとかやったりしました。
学生時代は囲碁にハマりました。
その時もじいちゃんから囲碁を教えてもらったり、一緒にファミコンの
囲碁とかやったりしました。
じいちゃんと、碁盤について話したりもしました。
対戦もしましたね、じいちゃんと。
やり方教わりながら。もちろん勝てませんでしたが(笑)
歴史にハマった時も、じいちゃんは自分が持っていた伊達政宗の
小説を私に貸してくれたりしました。
暴言も暴力も多いじいちゃんだったけど、いいところはあったんだなと
思います。
最後、病気で苦しくて、辛い思いをしたと思います。
今年の夏、実家に行った時も痛いとかでかい声で騒いでました。
みんなが慣れない介護に疲れている時でした。
病院に行くときも手すりがなかったからとても歩くのが大変そうでした。
そういえば、この時でしたね、癌になったってわかったのは。
なんかじいちゃん、私の小さいころに使ってた筆箱、大事にとっていて
くれたようで…なんかすげー今思うと泣けてくることだらけだ…。
クソジジイ…何で死んだんだよ…。
実家に行った時、じいちゃんのご飯持っていくの私だったからかな…
なんかそれもなくなって…あの部屋にも行くことがなくなって
なんだかんだで私寂しいんだなぁ
あんなに喧嘩したし、色々あったのに、それでもおれのじいちゃんやった。
危篤状態になって…その時は弟がついていたそうです。
じいちゃんの最期の言葉は弟が聞いたようでした。
身内と最期にお話できたことが救いです。
私は間に合いませんでした…じいちゃんに申し訳なく思います。
そんなこんなで…バタバタとしていました。
亡くなって、本当にすぐです、葬儀とか色々。
そして、その最中に出てくる嫌な親戚のBBA(血は繋がっていない)
金よこせオーラ出してました。
ばあちゃんのこと影で悪口行ってた割に、その時だけ良い面してました。
あのBBAだけは絶対に許せません。
悪いこと考えている人ってよくわかるもんです。
私はそういうのに敏感なので…気持ち悪いなと思ってましたし、
従姉もそれを感じていて、おかしいってずっと言ってましたし、
敏感でない人までそういうところが見えてくるくらいですから相当なものです。
あのBBAは血のつながりがない人間なんですけど、でしゃばってきて
あれこれ首をつっこんできました。
じいちゃんの面倒も見たことないくせに。
本当に腹が立ちます。未だに。
もう…なんか…ゴタゴタ見てて…かむいに愚痴ってしまったけど
私もかむいも直接介入できる立場ではないから、
近くにいるおとん、おかん、弟に任せるしかないなと思った次第。
じいちゃんよー
みてるかー?
あのBBA…おれは絶対に許さんぜ。
じいちゃんの残してくれたものに勝手に手を付けようとしやがって…
おれは絶対に守るからな。
ばあちゃんとじいちゃんの残してくれたものを守るからな。
直接は介入できないけど…絶対に守ってみせる…
れびこ、イライラしてますが…大丈夫。
疲れてないし、元気です。
ご心配をおかけしました!
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